メモ *ソマリア 報道助手

ソマリア>死者1000人超 エチオピア・過激派の戦闘で
4月11日10時41分配信 毎日新聞


 【ヨハネスブルク白戸圭一】ソマリア暫定政府関係者や首都モガディシオの有力者でつくるグループは、モガディシオで先月29日〜今月1日にあったエチオピア軍とイスラム原理主義勢力との戦闘で、少なくとも1086人が死亡し、4300人以上が負傷したとの報告書をまとめた。ロイター通信が10日伝えた。91年に同国が無政府状態になって以降、1回の戦闘での死傷者数としては最多とみられる。
 モガディシオ毎日新聞助手によると、軍関係者以外の立ち入りが禁止された市南部には多数の遺体が放置されており、死傷者はさらに増えそうだ。ケニアなどからモガディシオへ就航している民間機が戦闘で運行停止しているため、モガディシオは「陸の孤島」と化し、砂糖や米の価格が1週間で2倍に高騰するなど人道危機が深刻化している。
 モガディシオは昨年末、エチオピア軍とソマリア暫定政府に制圧され、原理主義勢力「イスラム法廷連合」は逃走した。だが、一部の過激派の武装抵抗は続いており、エチオピア軍が先月29日、過激派が支配する市南部への砲爆撃を開始した。
 助手によると、エチオピア軍は作戦前、南部の住民に退去を呼びかけたが徹底せず、砲爆撃が民家を直撃して多数の民間人が犠牲になった。5児の母親アミノ・ユスフさんは助手の取材に「子供2人が死んでしまった」と泣き崩れたという。
 原理主義勢力は「法廷連合」の指導者アウェイス師の出身氏族「ハウィエ氏族」の若者らを中心に構成される。このためエチオピア軍と同氏族の長老らが停戦協定を結び、戦闘は10日現在、小康状態だ。しかし、エチオピア政府は過激派一掃のため兵力増強の構えをみせており、住民の間には戦闘再燃への恐怖が広がっている。

最終更新:4月11日10時43分


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私の視点 朝日新聞イラク人助手
Weblog / 2006-01-18 23:16:24


 今朝の朝日新聞で「宗派対立 深い溝」と題した、イラク報告がある。

 イラクイスラームシーア派スンニ派の住民同士が対立する場面が増え、亀裂が深まっているとする報告だ。

 約4分の1の人口にしか過ぎないスンニ派が、長年の間、政権を握ること自体が不自然ではあったが、フセイン体制の消滅と共に米国の支援で誕生したシーア派臨時政権も舵取りがおぼつかなくて、国全体の迷走状態が続く。そこにスンニ派武装勢力の激しく、そして残忍な民間人を狙ったテロも加わり、両派の間に大きな溝が出来てしまった。

 それを報告するのは、読者にとって貴重な情報を得られるから良いのだが、皆さん、朝日新聞が手許にあるのなら「国際面」を開いていただきたい。記事の頭に、【カイロ=川上泰徳】と書かれている。これは、新聞社の特派員が、ある国を取材した後、赴任先の国に戻ってから記事を書く場合に使われる手法だ。だが、朝日新聞は自社の記者を「危険だから」とイラクに派遣していない。つまり、この記事は、川上特派員が現地入りせずに何らかの形で、バグダッドの市民の声を拾って書いたものだ。いや、それはそれでいいのだが、問題はこのような署名記事の肝心の部分が他人の手によって取材されているのに、出どころが一切明らかにされないことだ。これを朝日新聞に質せば、恐らく「そこまで明かす必要があるかは、こちらで判断すること」と答えるだろう。

 自社の特派員をバグダッドに入れない朝日新聞は、イラク人の助手に現地取材を依頼している。毎日、送られて来る情報がこのような形で記事になるのだ。だが、私は、このやり方に以前から大きな疑問を感じている。それは、朝日が署名記事の本質を履き違えていると考えるからだ。

 署名記事は、英語ではBYLINEと呼ばれる。かつて私はAP通信の記者になった時、米人編集長から、自分の書いた記事の責任を明らかにする意味から出来た制度と聞かされた。だから、記事の長短に関わらず、自分で判断してBYLINEにして良いと言われたものだ。つまり、記者は責任の所在をはっきりさせておきたい時は、通信社であろうと、署名原稿にしていいということだ。

 実は私は朝日新聞が署名原稿で犯した大きな過ちを知っている。もう30年以上も前のことだから時効と言うかもしれないが、その体質は依然として根強く残っており、私が取り上げた今朝の記事を見ても本質的に変わっていない事が分かる。

 70年代初めの北アイルランドでのこと。当時朝日新聞のロンドン支局(ヨーロッパ総局だったかもしれない)で助手をしていたA氏は、映画作りを目指していたこともあり、北アイルランド紛争の取材に出かけた。アルバイト扱いであったA氏は、個人的関心から現場に足を運んだのであり、朝日からの依頼で行った訳ではない。

 彼はその時、多数の死傷者が出た北アイルランド史上でも特筆される事件に遭遇した。命からがらロンドンに戻ったA氏は、職場に戻ると体験談を特派員に話した。すると、特派員はその体験談を原稿にした。

 まあ、それは、情報提供として時にあることだから、特派員がA氏に昼飯でも奢れば済むことであったかもしれない。だが、それを聞いた特派員は、ナント自分が現場にいてそれを体験したかのように生々しい体験ルポにして紙上で発表したのだ。それも自分の署名原稿というスタイルをとった。

 私はその記事を読んでいて、体験ルポが掲載されたのが確か事件発生から1週間くらい経っていて不思議に思っていた。

 A氏は朝日新聞には強く言えないらしく、憤慨して私に怒りをぶちまけたが、その少し前に自分が同様の嫌な思い(以前書いたが、私は当時、毎日新聞の助手をしていて、撮ったスクープ写真を東京から来た写真部員に横取りされた)をしていただけに彼の怒りはよく理解できた。

 しかしながら、こんな話はまだ序の口だ。これまで日本のマスコミの特派員は、海外で助手を「使い捨て」状態にしてきたのだ。助手の多くは現地人である。ヴェトナム戦争を含むインドシナにおける戦争、中東戦争、イラン・イラク戦争など多くの現場で私は日本の特派員の「助手を人間扱いしていない」というよろしくない評判を聞かされてきた。TBSの特派員が、湾岸戦争時にイラク入りしたいがために、安い危険手当でバグダッドまで戦火の中を陸路で「入国ヴィザ」を取らせにいったケースも助手から直接聞いて知っている。

 その点だけを言えば、米国のマスコミの方が格段に良質だ。AP通信は、ヴェトナム戦争の集結前に、海外逃避を希望するヴェトナム人スタッフと家族全てを国外に連れ出して面倒を見たし、ニューヨーク・タイムズなども同様だ。米人特派員とカンボジア人助手との人間味溢れる関係を描いた映画「キリング・フィールド」は、特殊な例ではなかったのだ。ところが、そういった戦場における、特派員と現地人助手との間の「美談」は、日本のマスコミに限っては聞いたことがない。

 朝日新聞が現在雇っている助手の扱いはもっといいものかもしれない。だが、そうであるのなら、少なくとも助手の氏名を掲載するなりして、名誉ある立場を与えるべきではないだろうか。朝日新聞のクレディットを与え、イラクにおいて「朝日の旗を背負わせて」いる以上、イラク人助手は朝日新聞の立派な報道局員だと思うが、私は間違っているのだろうか。それとも、助手の選び方に自信がないから情報の精度に疑問が生じる恐れがあって名前が出せないとでもいうことなのだろうか。だとすれば、そんな情報は、私たち読者が求めているものではない。  

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