えいがを見た

「ジャマイカ 楽園の真実」(渋谷アップリンクXで公開中、原題Life and Debt)をみる。ジャマイカの現状をつづったドキュメンタリー。いわゆる反グローバリゼーションをモチーフとした映画で、IMF世界銀行NAFTAWTOを中心とする発展途上国に対する圧搾的な貸付システムの問題性が取り上げられている。
映画では大戦後の国際社会の中で経済的基盤の弱い新興独立国が、世界的な経済システムの中でより苛烈な搾取の対象としてくみこまれている様が克明に描かれる。
中学生のころからレゲエが好きだったからとても興味深かった。レゲエがすきという人には見てほしいし、マックでハンバーガーを食いつつone loveとか言っているあほには絶対にみてほしい。レゲエのビートはハートビートにシンクロする人間的なものだ、だから世界中にひろまったんだ、とボブ・マーレィはいった。確かにそうだ。だけどレゲエのビートは同時に、ぼくらに対しては放たれた拳でもある。そして、だからこそ僕らは踊る。打たれながらよろめきながら踊る。



やっぱりロックが好きだから、こういう映画を見るとはずかしいくらいテンションがあがる。いろんな意見があると思うけど、ロックの王道はやっぱりプロテスタントソングだと思う。そして70年代から80年代前半のレゲエは本物のプロテストソングだと思う。こういう意味では、そもそも日本やらアメリカやらでプロテスタントソングを歌うということは、きっと難しいことなんだろう。というのはこういった場所では、そこで生きること自体が搾取であるのだから。このような事態にむきあわねばならなくなったとき、なお反体制であろうとすることはむつかしい。1968年を境にするような時期の話をしてるわけだが、たとえばそれは、今となっては滑稽と映るかもしれない自己反省、総括といった言葉に象徴されるような圏域へと入ってゆくことだったのだろう。闘争の内攻。こういった内省の仕方を僕らはもう忘れてしまった。このもはや僕らがそれに共感できるような地平にたっていないような、そんな内省、とても屈折した、だけど強烈に真摯な内省にまつわるテクストを下の方にすこしのせておこうとおもう。面白いんじゃないかと思う。うーん話がそれる。

んで、ひるがえって、僕が、80年代new waveの鬱屈したやり場のなさ、やるせなさみたいなのにすごく共感して、いいなぁと思っちゃうのもこれと裏表なわけで、総じて今日の日記にみなぎってるようなガキっぽさに訴えかけるような音楽を僕は好きなわけで、そういう意味で捉えるから僕は、ロックはやっぱり「わかもののおんがく」なんだろうとも思うのです。支離滅裂だけど、まあよし。映画自体の出来はまあまあです。監督がアメリカ人だからか、アメリカ人にわかりやすいような構成をとっているいる点、同じ材料でももっと出来たのではないかという点、もっとひどい現実があることをにおわせつつ撮っていない点、登場するIMFの役人さんがほんとにいやなやつぽい上に、ザ・悪者って感じで撮っているので、攻撃対象がぼけてしまう点(別に彼一人が悪いわけではないから)などやや残念ですが、劇中の音楽含めて、こういったことをあまり知らない人には消化不良になるくらいの情報はあるのではないかと思います。興味があれば見に行ってみるといいのではないかとおもいます。



いかおまけ。こういうものはあんまりのせないほうがいいのかもしれないけど。興味がある人は勝手にリンクをたどってください。リンク先が出典です。狼とか赤軍とかについてはてなのキーワードに基本的な事項は載っているようです。僕も詳しくはありません。

東アジア反日武装戦線「狼」の理論的核心。機関誌「腹腹時計vol.1」より
http://page.freett.com/hannnichi/index.html
 さて、以下に東アジア反日武装戦線“狼”はいくつかの問題を提起し、日
帝打倒を志す同志諸君と、その確認を共有したいと思う。

1  日帝は、36年間に及ぶ朝鮮の侵略、植民地支配を始めとして、台湾、
  中国大陸、東南アジア等も侵略、支配し、「国内」植民地として、アイ
  ヌ・モシリ、沖縄を同化、吸収してきた。われわれはその日本帝国主義
  者の子孫であり、敗戦後開始された日帝新植民地主義侵略、支配を、
  許容、黙認し、旧日本帝国主義者の官僚群、資本家共を再び生き返らせ
  た帝国主義本国人である。これは厳然たる事実である、すべての問題は
  この認識より始めなくてはならない。

2  日帝は、その「繁栄と成長」の主要な源泉を、植民地人民の血と累々
  たる屍の上に求め、更なる収奪と犠牲を強制している。そうであるが故
  に、帝国主義本国人であるわれわれは「平和で安全で豊かな小市民生活」
  を保証されているのだ。
   日帝本国に於ける労働者の「闘い」=賃上げ、待遇改善要求などは、
  植民地人民からの更なる収奪、犠牲を要求し、日帝を強化、補足する反
  革命労働運動である。
   海外技術協力とか称されて出向く「経済的、技術的、文化的」派遣員
  も、妓生を買いに韓国へ「旅行」する観光客も、すべて第一級の日帝
  略者である。
   日帝本国の労働者、市民は植民地人民と日常不断に敵対する帝国主義
  者、侵略者である。

3  日帝の手足となって無自覚に侵略に荷担する日帝労働者が、自らの帝
  国主義的、反革命的、小市民的利害と生活を破壊、解体することなしに、
  「日本プロレタリアートの階級的独裁」とか「暴力革命」とかを例えど
  れ程唱えても、それは全くのペテンである。自らの生活を揺ぎない前提
  として把え、自らの利害を更に追求するための「革命」などは、全くの
  帝国主義反革命である。一度、植民地に於いて、反日帝闘争が、日帝
  資産の没収と日帝侵略者への攻撃を開始すると、日帝労働者は、日帝
  利益擁護=自らの小市民生活の安定、の隊列を組織することになる。

4  日帝本国に於いて唯一根底的に闘っているのは、流民=日雇労働者
  ある。彼らは、完全に使い捨て、消耗品として強制され、機能付けられ
  ている。安価で、使い捨て可能な、何時でも犠牲にできる労働者として
  強制され、生活のあらゆる分野で徹底的なピンハネを強いられている。
  そうであるが故に、それを見抜いた流民=日雇労働者の闘いは、釜ヶ崎
  山谷、寿町に見られる如く、日常不断であり、妥協がない闘いであり、
  小市民労働者のそれとは真向から対決している。

5  日帝の侵略、植民地支配の野望に対して、多様な形態で反日帝闘争が
  組織されている。タイに於いては「日貨排斥運動」、「日本商品不買運
  動」という反日帝の闘いが導火戦となり、タノム反革命軍事独裁政権を
  打倒した。韓国に於いても、学生を中心に反日帝、反朴の闘いが死を賭
  して闘われている。しかし、過去一切の歴史がそうであった様に、われ
  またもやわれは洞ヶ峠を決めこんでしまっている。ベトナム革命戦争の
  挫折とわれわれとの関係においても又然りである。日帝本国中枢に於け
  るベトナム革命戦争の展開ではなくて、「ベトナムに平和を」と叫んで
  しまう。米帝反革命基地を黙認し、日帝ベトナム特需でわれわれも
  私腹を肥やしたのである。支援だとか連帯だとかを叫ぶばかりで、日帝
  本国中枢に於ける闘いを徹底的にさぼったのである。ベトナム革命戦争
  の挫折によって、批判されるべきは先ずわれわれ自身である。

6  われわれに課せられているのは、日帝を打倒する闘いを開始すること
  である。法的にも、市民社会からも許容される「闘い」ではなくして、
  法と市民社会からはみ出す闘い=非合法の闘い、を武装闘争として実体
  化することである。自らの逃避口=安全弁を残すことなく、“身体をは
  って自らの反革命におとしまえをつける”ことである。反日武装闘争
  の攻撃的展開こそが、日帝本国人の唯一の緊急任務である。過日、地下
  潜行中の某人が公表した文章に見られる待機主義は否定しなくてはなら
  ない。

7  われわれは、アイヌ・モシリ、沖縄、朝鮮、台湾等を侵略、植民地化
  し、植民地人民の英雄的反日帝闘争を圧殺し続けてきた日帝反革命
  略、植民史を「過去」のものとして清算する傾向に断固反対し、それを
  粉砕しなければならない。日帝反革命は今もなお永々と続く現代史そ
  のものである。そして、われわれは植民地人民の反日帝革命史を復権
  なくてはならない。

 われわれは、アイヌ人民(彼らがアイヌとして闘いを組織する時、日帝
安警察は、在日朝鮮人に対すると同様、外事課がその捜査を担当している。)
沖縄人民、朝鮮人民、台湾人民の反日帝闘争に呼応し、彼らの闘いと合流す
るべく、反日帝の武装闘争を執ように闘う“狼”である。
 われわれは、新旧帝国主義者軍国主義者、植民地主義者、帝国主義イデ
オローグ、同化主義者を抹殺し、新旧帝国主義植民地主義企業への攻撃、
財産の没収などを主要な任務とした“狼”である。
 われわれは、東アジア反日武装戦線に志願し、その一翼を担う“狼”であ
る。


・上記「狼」の大道寺将司の供述より。リンク先中段。
逮捕された大道寺将司は企業連続爆破の理由について次のように供述した。「日本は明治維新以来、常に海外にいろいろな資源や材料の供給を求め、その結果として台湾、朝鮮、中国、インドシナなどに対し、云々」(無断転載禁止とのことなので。リンクはかまわないそうです。)

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/nihon.htm