バトン日記 ←「〜バトン」の一種らしい。

人生を振り返れという企画らしい。こういうのやりたくないってこと多分知ってってバトンを渡してきたlincoln氏が憎い。これまでは「〜バトン」ってみんなやってて楽しそうだなぁなどと密かに羨ましがりつつ、翻って自らの友人の少なさをおもい夜毎枕をぬらしていたわけだが、よりによってこんなバトンが回ってくるとは・・・。
まぁ、回ってきてしまったからには仕方がない。お人よしの暇人としてはやらないわけにはいかんだろう。こういうのはやっぱり多少身を切らないと面白くないのだろうか。わからん。やるか。


○小・中・高で一番思い出深い時期
・保育園:年長。宮田先生がすきだった。偏食が激しく食べられないものばかりだったが、宮田先生が近くにいるときは食べた。三田先生(おばさん)はきらいだった。
・小学校:防衛機制が人一倍発達しているのか、はたまた記憶力が鈍いだけなのか、6年間もあった割にはあまり覚えてない。運動会の応援団の団長をやってた。赤でも白でも基本的に僕が入った組は負けた。「お勉強は中途半端に出来るものの、基本的には何もとりえがない」というのが自己評価だったが、性格は世界一いいと思っており、それも一種の能力だろうと無邪気に考えていた。小物にはいじめられたが、ガキ大将とか先生とか自分が属す社会の中の強い人には好かれた。
・中学・高校:男子校・中高一貫校。基本的にだらだらすごす。卒業時は高校3年生というよりは中学6年生だった。思い出はどんどん振り払うことにしているのだが、この時期にあった二つの出来事、高1のときの書道の入賞と高3のときの留学からはなかなか逃れられそうにない。重要だったと思う。学校の人は自分も含め、生物としては非常に弱い人たちばかりだったが、それでも周りにはいろんな人がいた。ここで人間の好みがきまってしまう。そのせいで、そのあと苦労する。


○なりたかった職業
小学校低学年まで電車の運転士。小学生になってから実際に山手線の運転をすることを考えたとき、同じところを回るのは退屈そうだと思ってやめる。ローカル線の運転士にはなりたいと思っていた。
ニュースキャスター。小学校高学年の頃は、世の中うそばっかりだが久米宏(と筑紫哲也)だけは正しいことを言っていると思っていた。分別がつき、その迷妄が晴れてゆくとともにメディアそのものに(自分がそこで働くということにかんして)興味がなくなっていった。


○得意だった科目
しいていうなら英語。受験勉強はまんべんなくできたが、いかんせん周りにはキレるひとが多かった故。


○苦手だった科目
体育、図工、家庭科、美術


○思い出に残った学校行事1〜3つ
学芸会、運動会、記念祭(中高学園祭)


○学生時代クラスではどんなキャラ?
まだ学生なのだが・・・。一言でいうなら「一人っ子爆発」。


○呼び名
くーちゃん、まるちゃん、まる、しろぶた、クウダイ、モグモグ、もぐ、もぐら等。


○好きな給食
カレーライス
揚げパン
牛乳


○バトン渡す人
せっかくだから本気で書こうね☆
K助さん 帰郷はいつだ?
エリックサティーさん きっとこういうの書きたくないだろうけど、だからこそぜひw
以上ミクシー。メールは送らないけど、みてたらやってね!
それからいるかいないか知らないが、そこでこっそりロムってる画面の前のキミm9(・∀・)!とりあえず読んだらやってみよう。やんないと不幸になるよんw
やるともっと不幸になるかもしれないけど。
じゃね。